ここでは本編では語り尽くせなかったインタビューの続き・取材後記をご覧いただけます。

−ここまでのインタビューで、「素人だからこそできた」という言葉をよく使われていたのが印象的でした。小田さんにとって新しいことに挑戦されていく上で大事にされている根っこの部分はなんですか?

素人強いなっていう思いは正直あります。素人ってポジティブかネガティブかでいうとネガティブな言葉のイメージがあると思うんですけど。素人には「こうあるべき」という誰かが作った価値基準や固定概念が全くないじゃないですか。だから自由に自分の好きか嫌いかで判断できる。僕はまだほとんど全てのことが素人でしょ? だったら何をやっても成功しちゃうんじゃないかと思えてしまうんです。
叢をはじめた当初はとにかく自分の未熟な部分と植物界の未熟な部分を、陶芸界や写真界とかファッション界のトップクラスの人たちに関わってもらうことで一緒に同じステージに押し上げてもらうっていう作戦で。素人のぼくなりにひとつひとつの仕事に応えていたらそれが次に繋がってということをずっとやってきて、おかげさまで植物業界にはない目線をたくさん持たせてもらえました。それはアートコレクターの佐藤さんのおかげも大きいですね。毎日コーヒーを飲みながら、縄文土器とか森山大道のオリジナルプリントとか、今も残っている 『本物』 にたくさん触れさせてもらって。紹介してくれる人も本当にすごい人ばかりだったので。中途半端なことは出来ないし。修行のような毎日でしたね。

−小田さんの目から見て世の中で一気にサボテンや多肉植物が流行ったきっかけって何だと思いますか?

2010年から2012年くらいにかけて西畠清順さんやSOLSOさんとか、このあたりが業界を盛り上げていて。同時に東北大震災で放射能汚染問題などがあって、世の中が人工物よりも自然がいいよねって方にシフトしたんだと思います。そこでちょっと植物ブームが起きて。それとは別に多肉植物ブームがまた起こってきて。調子に乗っているわけではなく、ぼくはサボテン業界における叢の貢献度は少なからずあると思ってます。そのほかで大きな要因は海外のブームかな。植物のブームにはいつも波があって、今回は多分コロナがあったから今まで以上の大きな波がきて、だからブームの終わりもいつもより緩やかですね。

−側から見ていても叢さんは独自の波を起こしていると思います。

カクタスクラブっていう公民館とかでサボテン好きが集まってみんなでサボテン話をしたり、作り方を教え合ったり、あとは自分のいらないサボテンを出して競売かけたりするコミュニティが日本各地にあって。僕が始めた当時は60代〜80代しかいなくて、いよいよ終わるっていう時だったんだけど、この5年くらいで若い世代が入ってきていて。僕もたまに顔をだして一緒に競売やったりするんだけど、叢さんの写真集を見てとか叢さんがキッカケでカクタスクラブに入ったって若い人によく声をかけられるんです。今では半数が僕よりも歳下で、そういった若い世代にサボテン園芸の裾野が広がったことは嬉しいですね。

取材後記

初めて叢を訪れたのは12年前。そこに並んでいたのは形容し難いカタチと色をしたサボテンたちであった。あらかじめ魅せることを前提としたかのような華美で壮大な造形は生存競争と進化の果てに <自然と> そうなったという。余すところなく全てに機能(意味)をもつ作為のない美しさとサボテンの持つ自由な発想にただ驚くばかりであった。小田さんの眼差しは表面的な美しさだけではなく、サボテンの生きた過程や農家との交流にも注がれていた。彼の挑戦的な姿勢は、出逢った人たちのお題に応えながら新しい世界を切り拓いてきたようで、その姿はまるで彼が今挑戦しようとしている接ぎ木のようだ。『素人』 という純粋さを武器に決められた価値基準を打ち破り、逆転の価値を追求してきた彼の姿勢は、彼が扱うサボテンとも共通している。植物のようにシンプルに生きることは難しいかもしれないが、彼らの真っ直ぐな態度から学ぶべきことがある。これから挑戦を考えている人は、その足で叢を訪れてみると良いだろう。

特別こぼれ話編

広島わらしべ物語

僕にはわらしべ長者的なストーリーがあって。最初は、ほんと花を置いて売るだけの小さい親の花屋に9年くらい勤めてて。近所のネイルサロンにアレンジを毎週作って持って行ってたんよね。そしたらある時そこにお客で来ていたおばあさんが、
「お兄ちゃんなかなかいいのいれるじゃない」
「あざーっす! 」。
「どこでやってんの? 」
「あ。すぐそこなんですよー」
「え? あんなとこに花屋なんてあったかしら」
「いや。ちっちゃいとこなんですけどあるんすよ。すいませーん」
「ふーん。じゃああとで行くわ」みたいな。

そしたらそのおばあさんが来て。
「お兄ちゃんね。こんなところでやってたら、もしお兄ちゃんがいいもの持っててもね。だめよ。私みたいなお客さんは来ないわよ。すぐそこにビルがあるんだけど。あたし買うからそこで花屋やる? 」って言われて。それがまためちゃ近くてね。店から徒歩1分くらいで。親の店からも近すぎるし、貯金なんてないから「ちょっと無理っすねー。」って断ったら「えー? そう? お兄ちゃんこんなとこでやってちゃダメよ」って帰って行って。そしたら次の日また来て「で、どうなの? 」って。どうもこうも昨日断ったはずなんだけどなーって(笑)。

それで、三日目くらいだったかな? 「(その物件を)一回見に行く? 」って誘われて。スタッフにも今日こそはちゃんと断るよって言って。でも行ってみたら裏に庭があって。今は横に大きい病院が建ってるんだけど、当時はなかったから日が差してて。その頃から徐々に切花よりもサボテンに興味があったんで。こんな街中で庭がある。サボテン置けるかも。「やります」と。

初めての自分のお店だったからワクワクしすぎて。クリスマス前の11月くらいが花屋の一番の見せ場で。装飾とかこんなことやったらお洒落に思われるかな? とかお客さん来るかな? とかね。奥に細長い店だったんで壁面がいっぱいあったからリースを100個くらいめっちゃ作って「ブワーっ」て飾ってたんよ。「おっしゃリース売るぜ! 」みたいな。

そしたらそこに来たのが世界的なアートコレクターの佐藤さん。当時から僕はレジカウンターに変な多肉植物置いてたんだけどリースじゃなくてそっちに反応して「これ何なの? おもろいね」と。それで「今度君のナンバーワンとナンバーツーの植物持ってきなよ」というやりとりがあって、そこで佐藤さんと繋がった。それでそのあと色々あったけど、佐藤さんの持つショールームの一画で叢を立ち上げ。最初は全然売れなかったんだけど。たまたま接木が売れてその梱包途中に来たのがref.の中本さんとアートディレクターの八木保さん。「とりあえず見るもんは特にないですけど、こんな感じです」って言った時にその梱包途中のマフラーを巻いたような状態の接木に食いついて。「これ何なの? これ面白いねー。今度ロスでやる? 」みたいな(笑)。その間に鯉江先生とか内田鋼一さんとかとの出逢いもあるんだけど。その2年後にロスでやることになって。その時にNYから出版社が見にきてて「これおもろいから写真集にしよう」って。そして写真集ができて。今度はそれをみたエルメスが「叢のサボテンでショーウィンドウをやりたい」ってなって。そこからは、「ぶわーっ」て広がって。っていうのがずーっと繋がってる。一個一個まじめにやってたら次の人が来てその人に応えたらまた次の人が来てってことをずーっと。すごい人たちが自分のやっていることを面白がってくれて。ほんとありがたいですね。

VINCENT & mia

−沖野修也さんと祐真朋樹さんをゲストにお迎えしての全三回に渡る <ONE PLUS ONE 1+1 conference> についてお聞かせください。

  • ■ 三瀧荘(料亭)

遊びの場に学びをプラスするというコンセプトの他に広島の歴史的な建築物を紹介するということも合わせてやっていきたいという想いがありました。広島らしいところで何個か候補を挙げていったところ、昭和初期に建てられ被曝建物としても歴史のある 『三瀧荘』 を選びました。その時の新しい試みとしてはファッションイベントとしては高額のエントランス料が1万円の100人限定パーティでした。これも100人きっちり集まり東京からもデザイナーやファッション誌の編集者の方達が来店してくれました。広島から外に発信しようというコンセプトでやっていたんのでそれも一つ成功したかなって思います。

  • ■ 八丁座(映画館)

どれも大変だったんですけど、特に映画館を貸し切ったイベントは大変でした。タランティーノのデビュー作 『レザボア・ドックス』 の元ネタが 『仁義なき戦い』 なんです。1960−70年代に公開された当初、実はあまり流行っていなくて広島でさえ席がガラガラの状態だったらしいです。そこで企画を持ちかけたところ八丁座さんも「広島で仁義なき戦いの最後のアナログフィルム上映を満席でやってみたい」という想いがある事を知ったのです。そこで祐真さんも好きだというレザボア・ドックスの上映も引っ付けてパッケージ化しました。内容は映画館でその映画の上映会、映画を使ったスタイリングの授業、シアター3箇所とフロア全部を貸切にして深夜のファッションパーティやろうという企画でした。フロアでは夜中2時までDJと、映画 『パルプ・フィクション』 に登場する架空のハンバーガーや5ドルのシェイクなどを提供する飲食ブースがあり、僕らスタッフはパルプ・フィクションの格好をしてタランティーノの世界観でパーティの雰囲気を作り上げました。シアターでは仁義なき戦いを流して、もう一箇所は祐真さん沖野さんにいろんな映画のワンシーンを切り取ってファッションの講義をしてもらいました。もう一箇所は 『ダイアナ・ヴリーランド』 という雑誌ヴォーグの伝説の編集長のファッション映画を流して4箇所・同時進行でやったんですけど、もうめちゃくちゃ大変でした。盛り込みすぎて上手く回らなくて半分失敗でしたね(笑)お客様には喜んでもらえましたが、関係者には迷惑をかけてしまいました。

  • ■ アンデルセン(ベーカリー)

三世代の社交場というコンセプトで最後は 『アンデルセン』 でやりました。広島の本通りにあるこの場所も被曝建物なんです。今の70−80代の方が若い時はあそこの街角でデートの約束をしてお茶をするというような青春の建物だったらしいです。建物を耐震工事で壊すことになったので建物のお疲れ会というか「今までありがとうございます」というメッセージを込めて企画したんです。

祐真さんにも「3企画の最後、ONE PLUS ONEの大きいやつをやろう」と言われていたので三瀧荘、八丁座に続く最後の場所を探していました。宮島とかいろんな候補は上がったんですがどこも実現が難しくて。そんな時に今のアンデルセンが無くなることを聞いたので最後のイベントの舞台にふさわしいと思いました。ハードルはすごく高かったですね。他社が貸切で使うという前例が無かったので交渉は相当難航しました。最終的に本通り商店街の重鎮の方やアンデルセンの設計士だった沖本初さん達に口利きをしてもらって、イベント1ヶ月半前に急にやれるということなったんです。そこからは仕事そっちのけにして社員総出で取り掛かりました。三世代の人が繋がれるように20−80代までの老若男女にお声がけし、おじいちゃんたちの宝物を展示する <自分のご自慢の一品> というコーナーを二階のフロアに設けました。人生の先輩方を主役にすることで、若い人たちに「こんなお洒落なおじいちゃんとかおばあちゃんがいるんだ」ということを知ってもらい世代を超えたコミュニケーションが生まれるような仕掛けになればいいなという場作りをしました。三世代の社交場というコンセプトだったので、繋がりとか流動性が自然に生まれることを意識してパーティを組み立てました。そうしたら本通りで商売をやられている先輩方がすごく喜んでくれて、皆さん協力してくださりました。

−菅さんはお店で落語のイベントを開いたり令和に入ってからは <REIWA ROMAN> という新しいイベントにも取り組まれていますね。

和洋折衷というか日本文化と西洋カルチャーをミックスしたちょうどいい着地点をそろそろ作った方がいいんじゃないかという思いがあって。明治維新から150年経っていて、ただ西洋のモノマネをするだけでは限界がきているんじゃないかなって思うんです。自分にもまだ答えは出てないんですけどね(笑)江戸時代までの日本のお洒落な粋とか禅という哲学は、むしろ西洋人の方が興味を持っていると思うんです。そういう文化をもう一回日本人も見直して欲しいなって思っています。そのためには自分も学ばないと発信できないので、まずは自分が体験しないといけないという思いでやっています。
デザイナーとかも生地を作るときに、生地の歴史的背景について調べているので、西洋とか過去の歴史についてすごく詳しかったりするんですよ。結局、西洋の文化から日本の歴史文化に入ってくるから自分が興味を持って調べている部分とリンクしてきて、そこの感性が合う人と取引をしているので上の方では繋がっているんだなって思います。まだ少しずつしかできていませんが、それをお客様に伝えて行けたらいいなって思いでやっています。

  • ■ お茶の話

先祖が明治初期に浅野家(武家・華族だった氏族)に饅頭を納めていたんです。それでお茶とも実は関係があって、母親の実家にも祖父の茶室があるんです。曽祖父も骨董商だったみたいでそれを代々引き継いでたくさん茶器や壺が置いてありました。そのおかげで子供の時から茶器などに馴染みがありすんなりと受け入れることができました。

居酒屋探訪から学んだ
ホスピタリティ

−菅さんのプロフィールを拝見した時に趣味に居酒屋探訪というのがありました。これも何か流儀のようなものはあるのでしょうか?

ずっと居酒屋は好きだったんですが「なんで好きなのか」という理由がはっきりわかったきっかけがあったんです。居酒屋探訪家:太田和彦さんの 『居酒屋紀行』 というBS番組が20年前くらいにあって、その番組の中で太田さんが、「僕にとってのいい居酒屋の基準というのは <居心地が良い> ということなんです。家族三代で継承されているような居酒屋というのは、大体一軒家の上が住居になっていてその下で居酒屋をやられています。家の一画であるから綺麗にされているし愛情もこもっている。お客さまに対しても家族のような接し方で料理を提供されているから、そんな居酒屋にはその文字にも含まれている本当の <居心地の良さ> があるんです」という話をされていて、その言葉が自分の中にすごく刺さったんです。そこからは出張も多いので意識的にそういう居酒屋を巡るようになりました。買い付けでパリに行ったときもいいなって思うレストランってやっぱり家族で代々運営してる店なんです。国が変わってもそういうのは同じなんだなって思い、そんな飲食店を自分も大事にしないといけないよなって思って趣味にしています。あと、居心地の <居> というのがすごく大事だということはセレクトショップのコンセプトにも当てはまるなって思っていて。それでそういう居酒屋に社員も連れて行くようにしているんです。結局洋服屋さんもいい洋服とかいろんないい商品があっても、居心地の良さや、家族的な感覚のもてなしの気持ちがないとお客さまは来てくれないって思うので。

  • ■ ONE PLUS ONE RADIO
    20周年のパーティで特番

キムラミチタっていう広島FMのパーソナリティに同級生がいて、以前からラジオやりたいねって話していたんです。その人も元々中村道生さんのお弟子さんで、広島FMで彼から仕事を学んで独立して番組を持ってやってきた人でした。僕も最初に話したメディアミックスを使った情報発信がしたくてずっとやっていたんで、そろそろラジオを使ってやってみようということで始めてみました。今まで出逢った人たちやREIWA ROMANやONE PLUS ONEで関わった人たち、そしてこれから一緒に何かをやっていく人たち等をゲストにお迎えしてお話を伺いながら文化発信ができたらいいなって思っています。今年お店が20周年を迎えるので 『折り鶴タワー』 のような伝統的な場所を使ってREIWA ROMAN的な和洋折衷の要素も取り入れてのONE PLUS ONEのようなパーティをして、そこで生放送のラジオの特番もしようという企画を考えています。

  • ■ 今後の展望

お店はもうここだけでは表現をするのが限界になってきているので。もう一個新しいお店を作って表現の幅を広げたいっていう思いもあります。あとはさらに全体的に掘り下げていきたいですね。

  • ■ たこ焼き

ぼくは何故か小さい頃から一番好きな食べ物ががたこ焼きなんです。最後の晩餐はたこ焼きがいいなあって思ってるぐらい。今まで、いろんなところで食べ歩いてたんですけどたまたまネットで流川に 『たこ焼き1品と生ビールの店ができる』 という情報を見つけて「この人だいぶ尖ってるなあって思って」訪ねてみたら茶人のようでもあり、道を極めた人のようでもある凛とした知性と粗暴さも兼ね備えたような今まで出逢ったことのないオーラの人が立っていました。カウンター8席のお店に奥の棚にはピカピカに磨かれたビールのグラス。生ビールのサーバーも窒素ガスを使用した注ぎ手の腕が試される仕様。たこ焼きも素材から道具からこだわり尽くされていて、それが圧倒的に美味しくて日本一じゃないのかなって思いました。ちょうど幼馴染が飲食店をやりたいと言っていたので「この大将に学べば必ず成功する」って思って大将に話したら「話は聞こう」って言ってもらえたんだけど結局、親友側が働けないことになり、話が宙に浮いたまま微妙な空気になったんで「すみません。僕は実はたこ焼きが一番好きな食べ物で、このたこ焼きを社員とかお客様に食べてもらいたいんでお金もいらないので暇な時に手伝わせていただけませんか?」って流れで言ってしまって(笑)そしたら「おお。ええで! 今日からお前はたこ焼きと生ビールはタダでだしてやるから皿洗いに来い」って言われたんです。そこから週1回、2〜3時間くらいお手伝いするっていうのが始まりました。これはコロナ前までは2〜3年間ずっとやっていて、また再開しようとは思っているんですけど実際、もう家でお客様とかデザイナーさんに振る舞えるので、僕の目標は達成してるんです(笑)。あとは 『たこ焼き佐藤』 はカウンター八席しかないお店で、大将一人でお客と向き合って接客するという一対一の感性の勝負みたいなものを働きながらみていて、VINCENTを始めた頃のお客と向き合って真剣勝負していた緊張感やプロ意識を自分の店にもう一回注入しないといけないと思いました。

廣島食肉物語

取材後記

今回の取材で我々が辿り着いたのは、時間の狭間に立ち止まったかのような食文化の宝庫であった。ホルモン天ぷらやしょぶり肉、それらは今や失われつつある食の歴史を語る象徴とも言える。世の中は利便性へと走り、手仕事は機械の脅威に晒され、屠畜の副産物から生まれる「しょぶり」も姿を消しつつある。
B級グルメのレッテルがつくこともあるが、これらの美食は生活の知恵と情熱が織りなすS級グルメだとも言えるだろう。今回取材したホルモン料理やしょぶり肉・ソーセージも食の最前線で彼らが命と対峙してきたからこそ生まれたもの。まさに今、そんな我々の食を裏から支えてきたヒーローから学ばなければならないことがたくさんある。
百聞は一食に如かず。
彼らの奮闘を垣間見つつ、是非その足で探しに行き、その美味に酔いしれてみてほしい。

HALAYA×2yang

−HALAYAさんがカレンダーなどのヴィジュアル物を2yangさんに頼むとき、どのように発注されるんですか?

HALAYA(以下 H):
こういうのを描いて欲しいって言ったら絶対裏切ってくる。だから明確なイメージとかじゃなくて、こんな感じでいいんじゃないですか? くらいで言ったらいいところで泳いでくれる。昔はこの人、A4の紙に片っ端から「バーッ」て描いて「ビャーッ」て捨てるの。で、それを俺が拾い集めて「これカッコいいじゃん」って。これをカレンダーに落とし込んで色つけてくれって提案して。

2yang(以下 2):
だから不用品のことなら 『HALAYA』

−一同(笑)

−もう今ので素晴らしいオチがついたしいいインタビューが録れましたね(笑)。

2:ちょっと。それもうHALAYAの広告になってまうやん! 俺にもなんか頂戴!!

H:俺は絵が描けないから、あれだけど。一番最初に初期衝動的に描いたやつがすごい良いのよ。

2:いや、でもそんなんでお金もらってもいいんかなって思ってまうから。

−初期衝動で描いたものは大体ボツにしているんですか?

2:それでGOならそれでいいよって思うんやけど。一般の人向けにはもうちょっとは分かり易いようにするよ。

H:店の壁画とかも全然違うオーダーしたけど、想像を超えた俺の欲しかったもんをちゃんと持ってきたりするのよ「すげえこの人」って思って。

−予想を裏切り、期待を超えてくるんですね

2:どうしよう。こんなハードル上げられて。

H:ツヤマくんはほんまに絵を見てもらったらわかるけど。実写的なものも描くし。全部タッチが違うのよ。

2:飽き性やから。チャンネル変えなあかんやん。ザッピングやがな。逆に言うとおんなじタッチでやってる人が羨ましいけど。

−カレンダーも今年で10作目ですね。初回からは遅れることなくカレンダーを作り続けられたんですね。

2:6月に鬼のキャンプがあるんよ。ここ(HALAYAの倉庫)でほぼ缶詰になって。でもそれでもできなくて。もうFA(フリーエージェント)くらいの年増の選手やからツヤマはちゃんと描くかなって健康状態をチェックするために俺をここに押し込むんよ。

−HALAYAさんが漫画編集者みたいな立ち位置なんですね。

H:そう。その気分。ここに呼んで、二人で酒呑んでアホな話して。たまにイベントでDJしたりとかして。ほんで帰ってきてなんだかんだ朝6時くらいまで喋り倒して。

2:悩みとか聞いたりして(笑)。

−ちょっと待ってください。今のところまだカレンダーやっていませんよね? (笑)

H:そんな話しよったら描きだしたりして。ほんでそれがまたすごくかっこいいのを「バーッ」てと描いて「ピャッ」と捨てるのよ。これでいいのに! 先生! って(笑)。

−名編集者じゃないですか。

H:俺はもうカレンダーについては自信があるよ。

2:すごいと思うよ。マジで。

H:ほんまは6月末ぐらいには手元にあったほうがいいのよ。だいたいお店をやってるような人なんかはカレンダーに予定を書いてくれるじゃん? だから2ヵ月くらい前にはあった方がいいよね。「予定書けんけえ早よしてやあ! 」っていつも言われる。

2:予定書きたいそういうアディクトがいっぱいおんねや〜。それは俺死ねんなあ。

−2yangさんが亡くなったらみんなの予定がなくなってしまいますよ。

2:予定ないって最高やん(笑)。

−カレンダーを購入されている方は、みなさん毎月ついてくるカトーさんの駄洒落にも興味を持たれていると思うんですが。

H:昔、マガジンとか雑誌の横に書いてあったでしょ? <アン・ルイス来る> とか。あーいうのがカレンダーにもあったら面白いよねってなって。それでカトーってオモロいやつがおるってなって。

2:あいつはヤバいよ。信号待ちで赤が青になる前に二つくらいダジャレを考えるからな。あれは天才やと思う。

H:Twitterがめっちゃ面白いのよ。15年くらいもうやっとると思うけど。

H: そう。カトーさんがTwitterで過去につぶやいてる駄洒落とかを俺らが拾って、コレとコレ使っていいですか? って。それでみんなで話し合って。これにしようって。

2:この人がすごいのはダジャレに金を払ってるからな。だからカトーさんは日本初のプロダジャレアーティストやねん。だからなんかもうオーガナイズド・コンフュージョンとかローカスレーベルくらいの。ヒップホップと同じレベルくらいの。

H:もはやラッパーだね。

−お二人が喋り倒すから今から録音データを聞き直すのが憂鬱ですよ(笑)

2:大丈夫。大丈夫。主語と述語だけ書いとけば隙間は読む人が決めるよ。隙間を教えすぎ。もう漢文くらいでええんよ。情報量が少ない方が人のためになるから。