PARCOプレゼンツ【広島の街と遊び戯れるためのコンセプトブック『広島遊戯』】の
インタビュー記事をWEB公開!

広島パルコ館内にて
LOOK BOOK設置

TAKE FREE

猫屋町ビルヂング

建物という境界線を超えて、町と混ざり、
人がつながる。
町に育まれ、
町を育んでゆくビル。

SUPPOSE DESIGN OFFICE 主宰

吉田 愛谷尻 誠

平和公園から街の中心地を背にして西側に広がる猫屋町エリアに、広島を代表する建築事務所SUPPOSE DESIGN OFFICEが企画・設計・運営する『猫屋町ビルヂング』という複合施設が誕生した。「新しく作るというより、あるものをどう変えていくか」という視点で設計されたというこの建物は、錆を纏った外壁の風合いもあってか以前からそこにあったかのように町に溶け込んでいる。1階は4つの飲食店が展開する“食”のフロア、2階は行為によって名前が変容してゆく「Gallery & Event space」、3階にはcoworkingとしての利用も予定されているSUPPOSE DESIGN OFFICEの広島事務所、5階にはサウナ施設『Hiki stargazing sauna』と、このビルには実に様々な入り口が用意され、ジャンルを超えて横断的に人が自然に集い交じり合う仕組みが作られている。そんな猫屋町ビルヂングについてSUPPOSE DESIGN OFFICE代表の吉田愛さんと谷尻誠さんにお話を伺ってきた。

今や東京を中心に国内外で活躍されているSUPPOSE DESIGN OFFICEですが、このたび広島のオフィスを『猫屋町ビルヂング』という新しいビルのプロジェクトと共に移転されました。HEAD OFFICEという軸を広島に置き、猫屋町ビルヂングをはじめられた理由をお聞かせください。

吉田 : 2008年に東京でも事務所を構えて広島との二拠点というスタイルになりました。まだその頃のメインは広島だったのでクライアントも広島に来てくれていたり、誠(谷尻誠)も広島オフィスでTHINK*というイベントを始めてゲストが広島に来てくれるという状況があって。その時にみんなが「広島ってめっちゃいいところですね。」って広島を大好きになって帰ってくれるんです。来てくれたゲストに広島のことをもっと知ってもらえてより良い滞在をしてもらえるように、私たちがもてなす場所としての空間を編集して作れたらいいよね。ということで元々はホテルを作ろうというプロジェクトとしてスタートしたんだけど、最終的にリノベーションでこの形(複合施設)になりました。

*THINK・・2011年より毎月一回、ゲストを招いてトークショーやイベントを広島事務所の「名前のないスペース」にて開催。行為が空間に名前をつけるとして、そこは、歌を歌えばライブハウス。落語をすれば寄席。髪を切れば美容室。といった風に名前のない空間で“考える”を考えることを目的としたトークプロジェクト。

谷尻 : (東京に事務所を構えてから)東京にいる時間は増えていくし、気がつけば、ほぼ他県の仕事になっていって。お墓参りには毎年広島に帰ってくるけど、親もこっちに住んでないからもう実家もなくて、正直にいうと広島にいる理由がどんどんなくなりつつあるんです。もちろん、広島の街に育ててもらったからとか、たくさんのゲストに来てもらいたいという想いもあるんだけど、一番は自分たちが広島にいる理由や居場所を作りたかったっていうのが根っこの部分のような気がします。自分にとっての理由が先にあって、それが何かしら他の人に楽しんでもらえる理由や来てもらうきっかけになったりするんだったらやる意味があるなって思ったんです。

このプロジェクトを十日市・土橋エリアで始められたことへのこだわりや、このエリアへの想いなどはありますか?

谷尻 : 目的を持ってきてもらえる場所の方がいいなという思いがあったので、もともと本川よりもこっち側(西)をずっと探していました。もちろんトラフィックを考えると街なかの方がたくさん人も来るんだろうけど。勝手にニューヨークのブルックリンみたいなところだって言ってます(笑)。みんなはあまり目をつけないけどポテンシャルはあるエリア。あとは僕らの仕事柄、商業だけで人が来るというよりも住んでいる人と商業の人が混ざり合っている場所の方が自分たちのできる余白があるんじゃないかなと思っていて。住んでいる人にも使ってもらえるし、旅で来た人にも使ってもらえるし、混ざり合う場所としては街の真ん中よりは想像がしやすかったというのがありますね。

吉田 : 個人商店が残っているところってやっぱりいい町だと思う。このエリアにはそういう匂いを感じますね。SHAMROCKさんとかご近所さんに「こんにちは」って気軽に訪ねて一緒にイベントをさせてもらったりとか。そんな風にいろんな人と繋がっていって、町のみんなが関わり合うようなことができたらいいなって思います。

4階のスペースや屋上などにまだまだ余白を残している『猫屋町ビルヂング』ですが、今後このビルを通してやってみたいことなど、展望があれば教えてください。

谷尻 : クライアントワークと違って、自分たちのものなら「こんなものがあってもいいんじゃない?」という発想のもとで実験することもできるわけで。階段室に世界一小さいクラブを作りたいとか、屋上の機械室に寿司屋を作りたいみたいな変なものが作れる。遊びでやりたいなというのはあるよね。

吉田 : あとはほんとみんなに使ってもらいたいって思いますね。まだ出来ていないことも色々あって、広島はスタッフの人数も少ないので事務所スペースをcoworkingみたいな形でやりたいと思っています。東京の事務所はお客さんもたくさん来るし、食堂と同じフロアにオフィスがあるので他者との関わりが普段から多くて、そんな関わりのなかから仕事だったり、イベントだったり色々なことが生まれています。

谷尻 : なんか昔の町の使い方がいいなってずっと思ってるんです。昔ってお風呂が銭湯で酒屋が冷蔵庫で映画館がテレビの代わりみたいになっていて、町全体を使って暮らしが営まれていたんだけど、今は自分の家の中に全て揃っているから昔ほど町に出かける理由がなくて。だから近くに住んでいる人がここにご飯を食べにきたり、ちょっと汗を流しにサウナに入りにきたりとかそうやって自分の生活の一部として町が使われていくような。そういう取り組みができると僕らがここを作ったことの意味があるんじゃないかなと思います。あとは少しずつ育てていけばいい。完成がいつかわからないぐらいでいいのかなって思っています。

Location

猫屋町ビルヂング

Oh studio hiroshima

Oh!とアートで
世界を驚かせたい。

アーティスト

村上 貴信

広島の中心街を彩る華やかな『並木通り』とは対照的に、平和大通りを挟んで南に伸びる『じぞう通り』には下町のような落ち着いた空気が漂う。老舗の飲食店に古着屋、セレクトショップにカフェ。新しいお店と古いお店が入り乱れるこのエリアは「知る人ぞ知る」という隠れ家的な様相もあり、昔からお洒落なエリアとして親しまれている。そんなエリアに最近新たなスポットが灯りをともしはじめ再び注目が集まっている。そんな動きの一角を担っているのが『Oh studio hiroshima』というアートを軸として飲食店やオルタナティブスペースなどが集う複合ビルだ。今回はそんなアートビルからこの街の未来を考えるアーティストの村上貴信さんにお話を伺ってきた。

まず『Oh studio hiroshima』というのはどのような場所なのか教えてください。

『Oh studio hiroshima』というのは元々、医師をされていた方が所有していた築45年のビルを『RenoжReno』という会社の代表の石井さんが買い取り、この場所をアートビルにしたいという想いでリノベーションされた建物で。アーティストが滞在制作をしながら発表もできて、且つ広島の人たちがライフスタイルのサイクルの中で集まれる場所を作りたいという構想のもとに始まったプロジェクトです。

『Oh studio hiroshima』のプロデュースをする村上さんのアトリエをはじめ、飲食店やオルタナティブスペース、滞在制作用アトリエが混在するビルというのは広島では珍しいですね。間口が広いので、ジャンルを超えて色んな人が集うクロスポイントとなりそうです。このビルに入っている広島コレクターズクラブというのはどのような活動をされているのでしょうか。

東京の画廊の丸栄堂さんと、アーティストを育てるよりもプロジェクトやアーティスト個人に投資してくれるようなコレクターを育てる方が広島のアートの土壌を成長させることに繋がるのではないか、という話から、広島コレクターズクラブではコレクターの皆さんと香港のアートフェアへ一緒に行ったり、アートを所有することやアートイベントの面白さをまずは当事者となって楽しんでいただけるような活動をしています。月に一回当ビル内のNEUTでコレクター、アーティスト、アートにまつわる人たちの交流会も開催しています。

村上さんご自身もアーティストとして活動される傍ら、広島のアート業界を盛り上げ裾野を広げるための活動にも尽力されているわけですね。『Oh studio hiroshima』を通してこれからやっていきたいことはありますか。

元々このビルを所有されていたお医者さんは画家として食べていくことが夢だったそうなんですが、その夢は叶わなかったという話を息子さんから聞いていました。今この場所がアートビルとして生まれ変わった姿を見て、息子さんが涙ぐみながら「父親はこれがやりたかったんだ」と。そういう話を聞くと本当はアーティストになりたかったけれど、諦めてしまったという人は世の中にたくさんいるんだろうなと感じます。そこでさっきの話に繋がるんですが、アーティストやアートプロジェクトに投資する人が増えれば、広島ひいては日本全体がアートで盛り上がるんじゃないかと思って。だからアーティストとして食べていける人がこのビルを通じて増えればいいなという想いがあります。
それから、このビルのオープニングに来てくれたオランダで活動しているアーティストから「ここで作って発表したい」ということを言ってもらいました。世界には広島に来てこの街で滞在制作をしたいアーティストがたくさんいると思うんです。だから、Oh studioでも今のリアルなヒロシマの街の雰囲気を知り、人と出会い、歴史を知って、リサーチを重ねて作品を制作発表するということの意味がアートにはあるのではないかと思っていて。『Oh studio hiroshima』をアーティストインレジデンスとしてもっと機能させていきたいと考えています。

このじぞう通り界隈のこのエリアについての想いなどはありますか。

じぞう通りというこのエリアに関してはまだまだリサーチ中なんですが、昔からお洒落なストリートだったということは上の世代の先輩たちからも聞いています。今、NICE COFFEEさんとか美容室とか新しいお店が増えていて、その時の雰囲気が少し戻りつつあるという声も周りから聞こえているので、まずは僕たち自身が自信をもってお勧めできるスポットにならなきゃなって思います。じぞう通りに私の作品を置いてもらっている店舗さんがあるんですけど、他のアーティストもどんどん紹介しています。「じぞう通りに行けばアーティストの作品が見られるよね」というふうに、いつかこのエリア一帯がギャラリーのようになれば面白いなって思います。あと、この近くには国泰寺高校や国泰寺中学校などの教育の現場もあって、アートの授業で交流ができたり、実際アートの現場がこんなに近くにあるので学生さん達にもっと来てほしいなと思っています。そして、もうちょっと先の未来を見た時に今の中学生、高校生の皆さんが「広島にいてもアートで夢が叶うんだ」という現場に触れることもアート業界の未来としてすごく大切なことなんじゃないかと思っています。

広島からアートを通して世界へ発信していきたいことはありますか。

普段、広島の人が<ヒロシマ>をテーマに取り上げる機会は少ないように感じます。アートには当事者だからこそ語れることがあると思うんです。自分も一万人に一人といわれる障害を持って生まれてきて、そういうことをいつか作品に落とし込みたいなと思っています。ヒロシマ出身だからこそ言える何かみたいなことは絶対にあると思っていて。発言に想いとかバックボーンとか平和のための平和ではなくて、未来につながるような平和をアートで発信していけたらいいなと思っています。

Location

Oh studio hiroshima

基町ショッピングセンター

ワクワク、ドキドキ。
心地の良いカオスに冒険を求めて基町へダイヴ。

オルタナティブスペース コア

権 鉉基

じ味一歩

河邊 一歩

戦後復興、15000人を収容する高層アパート、屋上庭園、ヤクザ映画のロケ地、行列のできる中華料理屋、バックヤードが若者のフォトスポット、異国情緒漂うダンジョン、この場所にまつわるキーワードを集めれば集めるほどその混沌さが明らかになる。「どこも同じ」という安定、均一化が進む現代社会の真逆をゆく圧倒的な個性を身にまとったこのシンボリックな建物、いや建物というより基町アパートは<まち>であるというべきだろう。そしてこの<まち>が持つ生命力や力強さは、これからの未来を生きていく上で大切なヒントをもたらしてくれているような気がしている。そんな基町ショッピングセンター内にて文化活動のための多目的スペース『オルタナティブスペースコア』を運営する権鉉基さんと、料理とお酒の店『じ味一歩』のオーナー兼料理人、河邊一歩さん。この街で生まれ育ったヒョンギさんと、外からこの街を選んで飛び込んできた一歩さん、お二人に基町について伺った。

お二人がお店をされているこの基町ショッピングセンターというのはどういう場所なのでしょうか。

ヒョンギ : 元々は戦後、基町の川沿いに自分のルーツでもある在日コリアンや大陸からの引揚者などが暮らしていた「原爆スラム」と呼ばれたバラック街があり、そのエリアの都市整備のためのプロジェクトで1979年に建てられたのが基町アパートですね。

一歩 : ヒョンギは基町ネイティブだけど僕は外来種で(笑)、呉出身だから、そういう歴史的背景の場所があるんだってこともよく知らなくて。ただ、長く広島に住んでいてそんな背景を知る人の中にはこの場所に少しネガティブなイメージを持っている人もいるよね。

ヒョンギ : そうじゃね。でも僕はこの街で生まれてずっとここに住んでいて、昔はもっと華やかだった。子供の頃の一番の遊び場はこの基町ショッピングセンター。おもちゃ屋が二軒もあったし、もちろん今みたいにシャッターがたくさん閉まっている状況とは違って全部お店も入っていたし。夏は盆踊りがあって年末はここで福引をやっていたりして、ネガティブなイメージはなくてすごく活気があった記憶がある。

ヒョンギさんはオルタナティブスペースコアと出会い、そこでブロックパーティをはじめられ、一歩さんは飲食店をこの基町ショッピングセンターにオープンされました。お二人ともなぜ基町という場所を選ばれたのでしょうか。

一歩 : 物件を探しているときに、広島の流川エリアみたいな繁華街で仕事をするよりはちょっと特殊な場所がいいなって思っていて。初めて基町に一人でフラッときた時に「すごいとこだな. . .」って(笑)。異質な空気だけど意外と中に入ってみるとすごく楽しくて美味しいお店もあるし。なんかいいなぁと思って。

ヒョンギ : CORE(オルタナティブスペースコア)がオープンしたのが2017年で、僕がCOREを知ったのが2018年、実は僕がブロックパーティを始めたのは一歩のオープンと同じ2019年で。

一歩 : 僕がCOREに初めて行ったのもブロックパーティをやっていたタイミングだったかも。よくこの辺りで見かける車椅子のおばあちゃんがいたり、異国の何処の国の人かわからない感じの人たちも一緒になって踊っていて。「何ここ! スーパーハッピースペースだな!」って。そんな心地よいカオスが最高だった。

ヒョンギ : その時はまだ実家に住んでいたので自分にとってはここが日常で、基町で飲み歩くということをしはじめた頃だったから。だから自分がネイティブとして暮らしている基町に、外で培ったことだったり、できた友達だったりを呼んでパーティをすることで、それらが混ざり合って何か面白いことが起きるんじゃないかなって思って。
一歩 : うち(じ味一歩)やCOREができたことによって少し集まる人たちが変化した感触があって。ちょっとずつだけど自分が面白いなって思う人たちが集まりやすいスポットになるんじゃないかなって。そんな基町が持つ他の町にはないポテンシャルや変化に期待して僕は飛び込みました。

基町についての想いと、これからの展望などについてお聞かせください。

ヒョンギ : COREはいろんな使い方ができる場所で、ブロックパーティは音楽のイベントだけど、今度は古着屋のPOPUPがあったり、いろんな方に「ここの場所でやりたい」と問い合わせをいただきます。それは立ち上げに携わった水野俊紀(Chim↑Pom)とアーティストの久保寛子の二人が作り上げてくれたCOREの価値なので、そこを損なわないようにクオリティにこだわって運営していきたいですね。あと来年からは自主的な企画も打ち出していきたいなと思ってます。

一歩 : 僕はもともと和食をやっていて、野菜が好きだから生産者の人たちをフィーチャーして自分が思う和食をつくっていたけど、やっぱり基町のこの場所でやってるんだから、いろんな多様性をミックスした料理に変化していくのが基町らしさなんじゃないかなとだんだん思いはじめて。まだリアリティはそこまでないけど、ここに住んでいる人たちやこの場所のリサーチと経験をもっと重ねながら、和食だからこうじゃないといけないっていうルールを飛び越えて基町らしさを一皿に表現できたらいいなと思っています。

ヒョンギ : 今はCOREをしっかり続けてやっていくことですね。ここを運営していると面白い人たちに出会えるし、自分が楽しいなって思いながらやっていることが結果的に基町に人が集まるキッカケになればいいなって思うし。COREを目的にきた人が周りの飲食店やスナックに繰り出していったり、その集合場所としての役割をやっていきたい。

一歩 : 続けていかないとですね。僕も飲食店だから、まずはお客さんに来てもらえるようにすることが大事で、その上でイベントとかも力を入れてやっていって。ここの面白さに気づいた若い人たちにもっともっと来てもらいたいですね。ペンギンって次々に海に飛び込むじゃないですか。僕はあれのファーストペンギンのつもりだったんです。自分がまず飛び込んでみて。大丈夫だよって。みんないけるよって。次々飛び込んで欲しいなって気持ちもあって。小学生の時だったら、ちょっと山に遊びに行こうぜとか。僕は呉だったから中学生の時には電車乗ってPARCOに遊びに行こうぜとか、結構ワクワクドキドキな感じがあったのと一緒で。ちょっと基町に冒険しに行ってみようぜって。予定通りのルーティーンも気持ち良いものがあるけれど、予定調和から外れた部分を味わいに、基町にダイヴしにきて欲しいですね。

Location

オルタナティブスペース コア

Location

じ味一歩

HOTEL GOOD SLEEP

アンテナを伸ばせば身近にも面白いところを
たくさん見つけられると思う。

HOTEL GOOD SLEEP

YUKKA

本川と元安川に挟まれた三角州のおへその辺り、全世界からたくさんの人が訪れる平和記念公園からわずか徒歩3分という好立地に、HOTEL GOOD SLEEPという宿がオープンした。手掛けたのはこの場所で長く『KAOSAN路地裏三丁目』 『おさんぽまさら』というタイ料理と雑貨のお店を営み、独特のセンスとキャラクターで訪れるひとたちの心を惹きつけてきたオーナーのYUKKAさん。DJブースにBAR、レコードに雑貨に古道具にと店主の趣味やセンスが其処此処に散りばめられた個性的なホテルのことや、このエリアで長く自身の「好き」を活かして商売を営んできた歴史などを伺ってきた。

元は飲食店だったこの場所で新たにホテルをやられることになった経緯をお聞かせください。

24歳の時に旅行で訪れたタイにカルチャーショックを受けたことがキッカケで、25歳の時に『KAOSAN路地裏三丁目』っていうアジアン居酒屋をはじめたのが最初ですね。当時、お店をやっている25歳の女の子って珍しかったので、取材をたくさん受けたりテレビにも出たりして。若い勢いで初めたお店が中途半端に上手くいってしまったもんだからそこで調子に乗ってしまって(笑)。色々あって5年くらいでそのお店は辞めてしまったんです。

けれど辞めたとはいってもここが実家なので、辞めるに辞められなくて(笑)。たまにお店で雑貨を売っていたりしてたんですが、そこで自分は古道具が好きだってことに気づき、古物商の免許をとって古道具屋をやると同時にタイ料理のイベントを定期的に開催していた時期があったんです。その店名が『おさんぽまさら』という名前で、店名はそのままにタイ料理に特化した店に移行しました。

飲食等をやりながらアジアをメインによく旅に出ていて、そんな中で宿をやる事に興味が高まったんです。店も長年やっていて方向転換を考えていた時期だったし。平和公園から徒歩3分の立地に対して需要が見込めるのは「ホテル業」と見定めてフルリノベしました。

宿をやりたいという思いは前々から抱いていたということですが、その理由やキッカケはどのようなものだったのでしょうか。

旅行へ行くのが趣味の一つなんですが、世界中、行く先々でいろんな宿に泊まるじゃないですか。私はインテリアや雑貨が好きだったので、そこでもし自分が宿をやるならこんなインテリアにするなーっとか想像することが楽しくて。それで次第にいつか宿をやってみたいなって思うようになったんです。忘れられない素敵な宿に泊まった経験とか、逆に大変だった安宿の経験なんかも今回の宿作りに生かされてると思います。

長きにわたりこの場所で商売を営まれ、そして海外への旅の経験も豊富なYUKKAさんが、宿泊される方にこのエリアでのおすすめの過ごし方などはありますか。

自分の旅のスタイルはホテルから徒歩圏内で、ガイドブックに載っていない「楽しい!」を自分で見つけること。短い滞在だとあちこち行かないんですよ。バンコクだったらバンコクだけ。移動時間のロスもないから疲れないし。自分ならではのアンテナを伸ばして散策すれば、遠くに行かなくても面白いところをたくさん見つけられると思うんです。まずローカルのスーパーには絶対行きますね。ローカルスーパーってその土地の相場を知れるし、とにかく観光客目当てじゃない現地の人たちが普段使いをしている店に行くのが好きなんです。だから広島でもそういうところを海外の人にも見てもらえたら楽しいんじゃないかなと思って、私なりのマニアックなオススメをHOTEL GOOD SLEEPのインスタアカウントにアップしています。家が近くないと気付けない店ってあるじゃないですか? 旅のためのローカルガイドブックを作っている感じですね。今はそれが楽しいです。

HOTEL GOOD SLLEPでこれからやっていきたいことはありますか。

今後は一階で何か飲食をやる事も計画&思案中。あとは宿がオープンしてから夜市やバンコクナイトなどのイベントをいくつかやったんですが、自分の好きなことや今までやって来たタイ料理(今はパッタイ推し)をイベント等で続けていくつもりです。

ゲストの方との交流を通して嬉しかったエピソードなどはありますか? またこのホテルのコンセプトを教えてください。

自分が好きで集めている音楽とか雑貨に興味を持って話しかけてもらえると嬉しいですね。先日もドイツ人のゲストの方がレコードに反応して音楽の話で盛り上がり、ドイツにも遊びにおいでよって言ってくれました。私はまだ英語がそんなに堪能ではないんですけど、音楽は言葉も国境も越えると思うので、音楽好きの方に喜ばれる宿になれたら嬉しいなって思っています。

最後に、YUKKAさんが旅に求めていることは何ですか?

旅には刺激がありますよね。ルーチンワークが苦手でマンネリとか退屈が嫌いなんで。すぐあっちこっち行っていろんなものを食べたり、雑貨を仕入れたり。未知の体験はワクワクするから元気が出ます。昔、モロッコへの長期の仕入れ旅から帰った時、日本の蝉の音のかっこよさに「はっ」とさせられたことがあって。「蝉の音ってこんなにカッコよかったんじゃー」って(笑)。全然違う感覚になるんですよね。物事が違う角度で見えたりするような体験から、新しいアイデアが浮かんだりもするのも旅の醍醐味だと思います。海外から日本に来られるゲストも毎日ちょっとしたことに面白さを感じてるんじゃないですかね。

Location

HOTEL GOOD SLEEP

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